ZEN

私は「萬草庵」となづけた庭を世話している。社宅の頃から鉢植えだらけ。いつかは日当たりの良いところで、自然の庭で生きたいと思っていました。私が薔薇を作っていると、共感より反感が返ってくる、たかがブログの写真だけれど、通りすがりになにかむかつくコメントを書く人はいるんですが、慣れなくて、悩んでいました。

私は天然なのかバカなのか、自分の何が他人の癇に障るのかわからない。なにか好きなものについて・・・たとえば「ドラゴンボールクリリンが好きかな」と言うと、「どんなに頑張っても悟空に勝てないところが」云々言い出すの。単純に考えてくれない。

「初登場ではズルしてでも勝ちたい子供、やがて本当に強くなって、それでも威張らないし、かわいらしい」そうは受け取らないの。私は勝ち負けで決める世の中が嫌いだから。

 

薔薇の話、中古の元喫茶店に移り住んだ話、私のブログの中身より私に興味を持つ。そして「薔薇があるからすごい、わたしにはできないわ系」になっていく。

山奥の中古物件を格安で買ったと言うだけで、田舎で土地が安いとわかるし、それを言う人たちの方が都会でマンションを持っていたりする。高価な資産を持ち便利なところであれば、私の方がうらやましいけど、一々比べて嫌みは書かない。そもそも思いつかない。

私の会話する相手が樹木だからかもしれません。山があり、夏は熱風が、冬は冷風が吹きすさぶ。山登りで森林限界へ行けば、ハイマツと岩と高山植物しか無いよね。私の住むところは、里山、といえます。東南に南アルプス、東に恵那山、遠く北には御嶽山・・・五月から十月までが植物を愛でる季節、それ以外は、凍る土地が溶けるのを静かに待つ日々。

空き地に一本の木がある。南は暖かく北は日陰、東は緑の葉にとって大切な光を降らせてくれる。「ゼピュランサス」という球根を伯母からもらい、育て方を訊くと「説明に書いてあるとおりに」という。それで「西風を避けて植える」とあるので東に植える。ゼピュロスはギリシャの神様で西風、この花は西風が苦手なのね・・・日当たりが悪くしめったところが出来たら苔を植える、南の日当たりは暑さに強い花を、と続けていくと、上手くいかないときが多いのです。花は言葉を言わないで、ただ枯れます。

枯れるから嫌だ、という人は多いけれども、私は、枯れてきたのを見つけたら、何故、どうして・・・と考えます。樹木は何も教えてくれない。ただ枯れることが唯一の主張です。地球の重力に対してどう伸びるか、何もしていないのに葉が病気になれば、空気、風が通らなくて、人で言えば熱中症かも。根元にプラスチックの道具を置いたら伸びるのをやめられたー、枯れた花を摘まないでいたら、葉っぱにくっついて枯れた、いろいろと失敗しては、何年も育てました。私が樹木に習ったと言えます。

言葉の声なき声に習う・・・少しZENと似ていませんか。漢字の禅ではなく、海外の方々が日本を知ろうとするときぶち当たる、あの「禅」です。曹洞宗などは禅宗じゃないかしら。詳しくなくてゴメン。

今年秋、古い駐車場を少し掘ってもらい、一番日当たりの良いところに植え直しました。鉢植えも勝手に移動されると、風当たりや日当たりが変わり、一気に葉が落ちました。やっと植え終わり、後は少しずつ手入れします。

ものすごい疲労で寝返りも打てないほどでした。それでも、もっと木が育ち、しげるけしきを想うと、わくわく、が、溢れてくる感じ。

この、わくわく、を私の樹木に上げたい。

一本の木から、「いつかの森」へ広がるその時