父に似て

「あおり運転」はやりますね。名詞化した動詞。いやなんです。「オマエは言語学者か」と罵られるんですけど、「煽る」は動詞です。「あおり」としても名詞じゃ無いよ。「○○は××を煽り△△という結果になった。」というように、動詞なの。

こういうのに嫌な感じがするのは、投稿サイトなどで「いじめ」「けなし」「あおり」ダメダシしないでください、って但し書きがあるのを見て、個人運営のSNSでいやなおもいをしたことが蘇る。明らかに幼稚な内容文面でも、芸術作品のように褒めなきゃならないの。

工場で、秒単位でコンベアに乗る製品、一秒間に何回ネジが締められるかで決まる、コンベア要員の価値、鈍い私はネジ締めさえやらせてもらえなくて、人間失格まで思った。その時より奇妙な感覚です。

煽る、扇動する、相手を自分の怒りのペースに巻き込むことかな。これが「運転」だと、私は本当につらい。運転が苦手だし、嫌いなのね。免許も欲しくなかったけど、田舎に住むと免許が無くては生きられない。

父が四十代くらいで免許を取りました。大昔ね。父は運転が上手とは言えなくて、アブナイし、かっこわるいし、友だちと一緒に送ってくれても「トッキーのお父さん運転駄目だね」と言われる。母と姉とで、父の運転を罵りまくっていました。ヘタ、アブナイ、ああいうことをした、こういうことをした、日々、まくし立てていたイメージばかり。

そして私は、「おとうちゃんにそっくり」と言われて育ちました。ものすごいストレスでした。父と私は、母と姉に毎日罵倒されて、どんどんちいさくなる。口答えも出来ず、無口になる。父は年齢を重ねてますますアブナイというので、姉と母に免許を返納させられました。それからすぐですね、黙って取り上げられて、黙って動かなくなって、下半身が動かなくなっても誰も気がつかない、反応の鈍さに怒るばかり。

私は父に似ているので私も駄目な人間だ、と病的に思っていました。高校を卒業したらクルマの免許、というのが世の定番で、私に免許を取れと五月蠅かった。でも私は、怖くて、罵られるに決まっているのが怖い、お断りしていました。

結婚して、子供が生まれて、幼稚園に入り、なにかと呼び出されるので、バスと歩きだけでは不便だと思い、決心して免許を取りました。でも、社に面した道路が一方通行なので、不便かつアブナイと、夫が言うので、そのままペーパードライバーへ。転勤してアパートになり、駐車場が広く、国道に面していたので、そこから運転し始めました。

いつも泊まりがけで遊びに来ていた友だちが、助手席で犠牲?になってくれ、いやいや事故ったのでは無く、超初心者のアブナイ運転に付き合ってくれて、怒ることなく気長に対応してくれました。昔父の運転を批評した人とは思えない・・・人間、成長することも、ある。

クルマを買う、ガソリンを買う、定期的にメンテナンスを義務づけされている、ものすごく高価なものですが、「必要」なのです。私が運転するようになって、実かの親から、嫁ぎ先の親から、なにかと用事を頼まれる。田舎では、親のタクシーになるようなものだなって思います。そうしてたくさん運転して、実家の母に「祐に運転して連れて行ってもらえるとは」と大笑いされました。

何を言ったら怒らないか言葉を探すような、おどおどした子供から、便利に使える子どもになれた気がしました。夫ばかりが便利に使われて、申し訳ないと思い、頼まれれば絶対に断らない、段々私も苦しくなりました。

運転してもしなくても、心が苦しい。今、病気になり、運転できない薬を飲んで、運転できないし、身体能力はさらに下がり、運転させてもらえない。運転しなくなったら、実家と嫁ぎ先から送り迎えを頼まれなくなりました。そして八年、実家の人と会ったことはありませんでした。

ものを頼まれないし、電話も来ない。音信不通。もともと、母に言っても「家」に伝わらない、姉に言っても「母に伝わらない」家でしたが、病気になって使えなくなると、心の底から見捨てられるなあ、と思いました。