殺意を覚えました。実行しなかったので、体が弱くなってできなくて、センセはまだ生きていて、独立してクリニックを開設したようです。その頃ですね、「通院していた先生が退職しちゃった、病院ありませんか」の書き込みばかり。少し残して大方消しました。自分でなんとかしようと思わない、何故? ネットで偽情報流すな、と書かれたり、病院どこですかー、と訊かれたり。心の中は波立ち、私の理性は難破船寸前!

人間は勝手だ、人間は信用できない、人間は薄汚い、そんなことばかりおもいながら、ブログできれい事を書き続けました。苦しくて、バラエティーなど診たくも無い、グルメ旅なんて関係ないし・・・でも耳鳴りはひどくて、テレビがしゃべっていないと気が狂う。そんなこんなで、CSのアニメばかり観ました。途中からは、目が白濁して見えていませんでした。点滴はステロイドだったのでしょう。効果が無いと直訴したのでノイロトロピンに変更した。私には黙っていた。訴えてやりたい、元のセンセ。でも難病治療での災難は、訴えの対象外です。どこまでも弱いものを叩く医療制度。

テレビアニメは朝から晩まで血みどろで、『進撃の巨人』でクライマックス。人間が食べられている。良い気分。その後原作に興味が出て、レンタルで読みました。頁を捲る手が痛むので、なるべくアニメが良いんですけど、アニメと漫画は別物なので。痛みを押しても読みたい魅力が何か、自分でもわからない。

紹介先のセンセは朗らかで、すでに同類で埋まっていました。私は車中で横になり順番を待ち、受診して、一年後にずっとねがっていた「ヒュミラ」をいただきました。ヒュミラはすぐ効く、というブログを読んだからです。副作用とか反対運動とか、どうでもいい。薬が効いている間楽ならそれで良い。間質性肺炎になろうが、依存症になろうが、楽になるなら何でも良い。ネットの人たちがわーわー書いているベンゾ系もトラムセットも、ヒュミラが効けば要らなくなる、・・・でも、効果はありませんでした。すぐには楽にならなかったのです。二年ほど、二週に一度打ちました。自己注射なので、自分で加減して打てる。皮膚に穴が空いて針が吸い込まれていくのを見るのは楽しい。多くの人が腹に打つそうですが、私は二の腕に注射していました。上手に手に持たせて、工夫しながら痛点を避け、注射器を押すときの手の不自由さも乗り越えて。しかし、都市部ではその時すでに「ペンタイプ」のヒュミラが使用されていました。東海地区、残り物多いな、でも注射針が見たいな、ペンタイプだとおなかしか打てないし、ボタン式なので打ち始めると加減も出来ない。世の中のぶきっちょなやつらのせいで、でかくて邪魔なペンタイプの注射器になった、怒りまくり。それにみんなが「ヒュミラ何回目」と、打った場所やその後の経過など、細かく記録しているのにも驚きました。私は記録するものも廃棄する袋もいただいていなかったのでした。大変失礼ながら、ヒュミラ何回目と数えている人を、細かい、神経質そう~と言っていました。独り言ですけど。そっか、記録ノートをつけるようになっていたんですね。私はもう何本打ったかわかりません、気にもしません。

国の指定難病になる以前、県外で高額医療を受け、受領書を市役所に提出して、次の月にその額を振り込む。市役所の担当から「金儲けしている」となじられ、県庁などに不当な発言だと問い合わせすると「実際にそういう人がいるんです」と返される。それでしばらく、自己注射を中断しています。その後指定難病になり、国が支払うようになり、市役所もご機嫌なので再開しました。「あんまり、打ったりやめたりしない方が良いよ」と看護師に言われました。そんなこといってもさ、この県と違うのよ、とひとりごちる。そして、ヒュミラの効果はなくても、毎月の採血の結果は良くなっていきました。

「はやくヒュミラの日こないかなあ」ってよそのブログを拝見して、そういうもんなの?わたしもうええわ、何回目か、どうでも良いし、いらつくわ、おもいました。ごめんなさい。

そして私は知らないうちに、車いすから滑り落ちることは無くなりました。前より元気。ただ、転びやすくなり、歯医者の診察台から滑り落ち、少しの段差でばったり前に倒れる。文章を打ち終わり、パソを閉じて、立ち上がった瞬間、きりきり腰の筋が・・・ぎっくり腰的に・・・曲がったまましばらく伸びない腰。ボキバキする、この特徴が顕著で、むくみ、しびれる。ああ、やっぱり私は病気だった、っと納得できた・・・かもしれない私。