Anti ロングヘアーの人々

髪の毛が長い人に反感を持つ人っているなあ。私の実母。長い髪は贅沢の象徴と考えていたようでした。実家にお世話になっていたときは、常に短くさせられました。少しでも伸びると、「祐は短い髪が似合う」と言うのです。そして近所の子で、髪を伸ばしている子を「ませている」「贅沢」と言い続けました。それは別段、悪いことない、当時は庶民的感覚でした。

結婚してから髪を伸ばしました。夫がロングヘアの女が好き+一度は長くしてみたい+伸ばしっぱなしだと、美容室代の節約になる。

ある日、なじみの美容室の若い子が「夫が好きだから、って皆言うのよ。色々理由はあげるけれど長い髪が好きな人は、結局長いのが好きなのよ。」と、その言い方が、実母の嫌味な言い方と似ている気がしました。

結婚して、アパートや会社の宿舎へ、母がプチ家出してくる度に、「祐は長い髪が似合う」というので、うんざりして、一度、ベリーショートにしました。もう、短い髪の基準を超えた長さ、刈り上げ。そしたら母は「どうしてそんな頭にしたの」と私に訊きました。「おかあちゃんが『短いのが良い』って言い続けるから切りました。」と応えました。それから何も言わなくなったのに、十数年経って、また「祐は短い髪が似合う」と・・・しつこいっ

福祉関係者が私を見に来ても「髪が長いね」とこだわるので、きぃぃぃぃっとなりました。その後ツイッターで「髪の寄付」について知り、私ももう少し伸ばせば寄付できることをおもい、やってみようと決めました。地元の美容院でそのことを話すと、「切ってあげるけど床で拾って」とか「カラーリングは良いのぉ?」と言ってきました。嫌味なオトコだった。その後別の美容師さんに話すと、私の髪はあまり傷んでいないので使えると言われました。「床に落ちた髪を自分で拾ってくれるなら良いよ~」あほ。一本一本髪を拾う・・・健常者でもムリだ。

 

意味のわからない私に対する反発に怒って、自分でベリーショートにするなんて、もったいない、私も難病だもの、同じように病気の人のカツラになれたら嬉しい、とおもいました。他人にとって、「便利に使えるトッキー」ではない、自分から役に立つのだ、と考えると、ちょっと社会に貢献できるという自己満足が生まれました。

子供として親に仕えたり、嫁として婚家に使えたりするのとは違う感じがしました。純粋に役に立てるというか・・・元々私は、人様の見返りを求めていたわけじゃない。お返しが欲しいのではなく、他人がどう思おうと、自然に、困った人に対して、私の出来ることはしたいとおもうのです。

後数センチでカットです。美容院に問い合わせて、そこでやってくれるなら良し、駄目なら、名古屋の総合医療センター内の美容室でカットしてくれます。目の治療をした場所で、ガーゼが取れた日に見つけました。

先週、今週と、所用で出掛けたり、家の壊れたところを直すため、人の出入りが多かったりして、ネットのことはすっかり忘れ、といっても数日ですね。小諸へ行きまして、懐古園など見学しました。駅前の可愛いコーヒーショップでランチもしました。出掛けただけでかなりの疲れ、そのまま回復も難しく、それでも徐々に起きていられるようになりました。

写真など出そうかと迷ったけどやめます。私のブログは同病の方々が多いので、私のすること、多くを、ご自身と比べて浮き沈みしてしまわれるので。「トッキーは出来るのに、私は駄目だ」系の悩みにはまる傾向があります、この病気。

アメーバに来てから、多くの人に比べられて、ちょっとしんどかったですよ~。トッキーは○○、私なんか○○だからーーー、系の受け答え、多すぎ。普段からの性格かもしれないけれど、この病気のために、ひとつは、「やりたいことは我慢しない」「サボるときも我慢しない」・・・もうひとつ、自分の芯を信じて、たとえ、受け狙いだとしても「私なんかトッキーと比べて駄目だから」と「思わない」でいると、少しずつ、ほんの少しずつだけど、楽になると感じております。

気になることはさっさとやる。
出来ないことはやらない。
そして他人と比べない。

私は文章を綴るのが大好きです。絵を描くことも山歩きも好きでした。今は雑文をワープロで打つしか出来ない。今日も、クレーンゲームのようにカメラを落としました・・・PCこわれそう。ヤバイ。マウスは扱えないのでペンタブを、カメラと、レタッチソフトは要る、などと、財布の中身を確かめる日々です。多くのことが出来なくなりましたが、一番好きな「文章を並べていく」ことだけは出来ています。


確かヤフーブログでしたか、パソコンもブログも初心者人に、私の更新速度がすごい、写真の多さがすごい、チャットが早い、何をしてもかかれまくりました。私はパソコン生活に年季が入っておりまして、画像のストックも、随筆、掌編のストックもありました。それを伝えても「それでもすごい、私には出来ない」の一点張り。そういうの、気にしないでね、自分なりの楽しみ方で良いじゃん、私と似たことしなくて良いじゃん。

私の庭はあって、私が世話をしているけれど、借家でぼろアパートの時から、ベランダ鉢植え、みどりのハンドパワーでもこもこしていました。「みどりの手」よく言われました。でも、それが、読む人、見る人の「痛み」に繋がるのなら、私は、不得意だけど、規則正しくのんびり週1更新しようかと悩みました。


ヤフーの方は海岸部にお住まいで、「だから」花が育たない。私の写真を見て鉢植えを買ったけど枯れた、よりによって「サギソウ」なの。高山植物だもの。海辺では育ちません。海辺には海辺の花、山には山の花。

そうしていつも「ぷっつん」していらしたの。


「萬草庵」とカテゴライズして、庭の写真など過去に出していて、それは今もさかのぼればあるんですけど、私としては「出来る人です」と自慢したかったのではありません。山奥の中古物件に住んでいる、髪の毛を伸ばしている、その他、全部が「私なんて」と卑下する材料になってしまいました。もしかして、この系統の病になると、そういう神経が働くのかも、と・・・それで前のブログの題名は「交感神経増幅器」にしました。すると、漢字が多い、交感神経がわからない、と誰かが言い出すのよ。

今、自分の手にある大切なもの、それは私と別のものであって欲しい。そして「副交感神経」が働くような、楽しい、慈しみに溢れた「おのれの世界」を手放さないでい欲しい。

悩む人のブログを拝見して

脊椎関節炎を患う人のブログなどを拝見して、「惜しい」と思うことがあります。「写真に仙腸関節の病が出ていない」のに脊椎関節炎と診断され、症状も出ている、治らない、クスリが多い」と書いている人が多いことです。私の病気をAS(強直性脊椎炎)と診断した先生は、一人だけでした。MRIなんて要らない、首の骨を斜めから撮ると「竹様」になった骨がわかる」と言い、私の首のレントゲン写真を見て、「ASに間違いない」としました。そのコピーをいただいて、地元に帰り、総合病院へ行くと、紹介状も写真も、ぽいって放り出し、「あそこかぁー」と吐き捨てるだけ。線維筋痛症とされます。思うに、医師とレントゲン技師と、細かい科に別れる病院へ言っても見分けがつかないのです。私は私の元の先生がすべて正しいとは思いませんが、現実に独立して、地元の女性に手厚い診察をしているようです。全国統一の意見を持った医師はいない。ひとりの患者を、内科も外科も精神科も資格を持っていて、多角的に患者を診る人はいない。レントゲンやCT写真を今の先生に持って行ったとき、まず自分でもう一度検査してASと決めました。前の先生は線維筋痛症も合併していると言っていましたが、今の先生は強直性脊椎炎だけだと言います。レントゲンやCTの結果でさえ、医師によって意見が分かれる。「写真に出ない」と書いている人は、医師が何も出ていないと見ているだけと言えます。MRIなど私は撮ったことがありません。あの筒の中が怖い、音も我慢できません。でも、もともとMRIの検査なしで診断できたので、不要の検査費用を支払ったことになります。ただでさえ、どこの医師も認めず、探す羽目になるので、レントゲンで見分ける医師ばかりになればいいのです。レントゲンだのシンチだの、検査結果が出る前に被爆しそうだと思いました。ひどいときは週単位で血液検査して、腕はあざだらけ。げんなりしていても、やはり紹介されたのでおとなしく検査を受ける、検査を受けて血を抜かれては、精神病にされるけど、精神病って寝たきりになるほど体が悪くなる物なのか、という疑問が出ます。私は何なの。どうしてフツウに生きていられないの、と気落ちして、なにもする気が無く、何を飲んでも目が回るか、戻すか、かゆかゆになるか、眠いのに眠れなかったり、排泄が出来なくなり、眠れなくなり、油の切れた機械のように動きが硬い。そして全身痛い。浮腫む。ベルトコンベアの荷物のように、大量の患者を回し、知らない病気だと断る。そして医師によって判断が違う。自治体も相手にしないし、もう社会からは見だして生きる気力も無くて、死にたいと思っても、死ぬ元気も無かった、今は自己治癒力で動いている、と豪語しています。痛みになれた、重い体になれた、他人にわからなくてもいい、そういう割り切りで、今私は生きています。

殺意を覚えました。実行しなかったので、体が弱くなってできなくて、センセはまだ生きていて、独立してクリニックを開設したようです。その頃ですね、「通院していた先生が退職しちゃった、病院ありませんか」の書き込みばかり。少し残して大方消しました。自分でなんとかしようと思わない、何故? ネットで偽情報流すな、と書かれたり、病院どこですかー、と訊かれたり。心の中は波立ち、私の理性は難破船寸前!

人間は勝手だ、人間は信用できない、人間は薄汚い、そんなことばかりおもいながら、ブログできれい事を書き続けました。苦しくて、バラエティーなど診たくも無い、グルメ旅なんて関係ないし・・・でも耳鳴りはひどくて、テレビがしゃべっていないと気が狂う。そんなこんなで、CSのアニメばかり観ました。途中からは、目が白濁して見えていませんでした。点滴はステロイドだったのでしょう。効果が無いと直訴したのでノイロトロピンに変更した。私には黙っていた。訴えてやりたい、元のセンセ。でも難病治療での災難は、訴えの対象外です。どこまでも弱いものを叩く医療制度。

テレビアニメは朝から晩まで血みどろで、『進撃の巨人』でクライマックス。人間が食べられている。良い気分。その後原作に興味が出て、レンタルで読みました。頁を捲る手が痛むので、なるべくアニメが良いんですけど、アニメと漫画は別物なので。痛みを押しても読みたい魅力が何か、自分でもわからない。

紹介先のセンセは朗らかで、すでに同類で埋まっていました。私は車中で横になり順番を待ち、受診して、一年後にずっとねがっていた「ヒュミラ」をいただきました。ヒュミラはすぐ効く、というブログを読んだからです。副作用とか反対運動とか、どうでもいい。薬が効いている間楽ならそれで良い。間質性肺炎になろうが、依存症になろうが、楽になるなら何でも良い。ネットの人たちがわーわー書いているベンゾ系もトラムセットも、ヒュミラが効けば要らなくなる、・・・でも、効果はありませんでした。すぐには楽にならなかったのです。二年ほど、二週に一度打ちました。自己注射なので、自分で加減して打てる。皮膚に穴が空いて針が吸い込まれていくのを見るのは楽しい。多くの人が腹に打つそうですが、私は二の腕に注射していました。上手に手に持たせて、工夫しながら痛点を避け、注射器を押すときの手の不自由さも乗り越えて。しかし、都市部ではその時すでに「ペンタイプ」のヒュミラが使用されていました。東海地区、残り物多いな、でも注射針が見たいな、ペンタイプだとおなかしか打てないし、ボタン式なので打ち始めると加減も出来ない。世の中のぶきっちょなやつらのせいで、でかくて邪魔なペンタイプの注射器になった、怒りまくり。それにみんなが「ヒュミラ何回目」と、打った場所やその後の経過など、細かく記録しているのにも驚きました。私は記録するものも廃棄する袋もいただいていなかったのでした。大変失礼ながら、ヒュミラ何回目と数えている人を、細かい、神経質そう~と言っていました。独り言ですけど。そっか、記録ノートをつけるようになっていたんですね。私はもう何本打ったかわかりません、気にもしません。

国の指定難病になる以前、県外で高額医療を受け、受領書を市役所に提出して、次の月にその額を振り込む。市役所の担当から「金儲けしている」となじられ、県庁などに不当な発言だと問い合わせすると「実際にそういう人がいるんです」と返される。それでしばらく、自己注射を中断しています。その後指定難病になり、国が支払うようになり、市役所もご機嫌なので再開しました。「あんまり、打ったりやめたりしない方が良いよ」と看護師に言われました。そんなこといってもさ、この県と違うのよ、とひとりごちる。そして、ヒュミラの効果はなくても、毎月の採血の結果は良くなっていきました。

「はやくヒュミラの日こないかなあ」ってよそのブログを拝見して、そういうもんなの?わたしもうええわ、何回目か、どうでも良いし、いらつくわ、おもいました。ごめんなさい。

そして私は知らないうちに、車いすから滑り落ちることは無くなりました。前より元気。ただ、転びやすくなり、歯医者の診察台から滑り落ち、少しの段差でばったり前に倒れる。文章を打ち終わり、パソを閉じて、立ち上がった瞬間、きりきり腰の筋が・・・ぎっくり腰的に・・・曲がったまましばらく伸びない腰。ボキバキする、この特徴が顕著で、むくみ、しびれる。ああ、やっぱり私は病気だった、っと納得できた・・・かもしれない私。

私が、あ、昨日より楽、と思ったのは五年くらい前です。今更ですがアルファベットのN県で、「他県の患者は断るようにしている」と言われ、私の方から遠慮したとき、かなりのストレスでした。「入院しろ」と勝手に決めてしまい、それほど悪くも無く、まだ動けていた(気分としてはかなり苦しい)のに、通院で診察中に決まったのです。着替えもないし、お金もないし、空きベッドも無いの。外科の急ごしらえベッドに入れられて、同室はおばあちゃんばかり。しかも手術あとの入院なので気分は元気な上に、田舎独特の「せんしょう」(僭越に口を出すことで標準語です)で、歩き方や食べ方トイレの回数まで数えて、トイレの中まで様子を見に来る、膠原病科に至っては、カーテンを開けて、私がポータブルトイレで使用中なのに、一方的に話しかけてくるんです。みんな滑車のついた手すりみたいなので移動しているのに、私だけ歩いているから。興味津々なのです。私は他人のことは気にしないし比べない。それに前に捕まって歩くのは良くないと思っています。足を包み込んで安定する靴を履いて、地面と仲良しになる、バランスをとって、体幹をまっすぐに移動する。これは後に大変役に立ちました。ところが、他人のトイレ中に私の履き物を履いて「私はこんな履き物、手に入らないわ」通販で。「やり方がわからんわ、歳やで」じゃ、地元の靴屋で注文すれば。「近所に靴屋が無い」何を言っても私のベッドから離れてくれない。一事が万事で、私はストレスをためまくり、逃げようとして捕まり、無理矢理退院になりました。その時には、おばあちゃん達の幼児をこなしていくうちにヘロヘロ二なり、車いすにもたれることが出来ず、車いすに乗せられるとずり落ちる状態でした。ステロイド点滴は全く効かず、ストレスからか、しびれたり、異痛症がひどくなり、看護師の服がかすると飛び上がるほどの衝撃を感じました。横のベッドからうなり声が聞こえて失神しました。そしてまた通院が始まり、行く度に「他県からは減らしている」云々、センセの愚痴を聞いて帰る。入院時の点滴はノイロトロピンになっておりました。最初からノイロトロピンなのか、途中からそうなったのかは不明です。高額な入院費…私は他の患者の面倒を見たので給与くれ、と思いました。それから三年後に今のセンセに出会ったのですが、それまでは隣町の診療所で、診療所なりの保険点数で、お薬をいただいていました。いろいろと飲むものを変えましたが、どれも駄目で、飲まないものだから大きな袋に貯まり、それを診療所の診察室に持って行って「返します」と言いました。そのようなことで、「最後の最後に飲む薬」と言われ「トラムセット」を服用しました。全身のお肌がかゆかゆになるとか、誹謗された気がしてハルシオンデパスを一気にやめてのたうち回ったり、「断る」と言われた病院へ匍っていき、直訴したり、挙げ句発作を起こして救急車、この地方は、救急車の受け入れを拒否します。なんでかわかりません。「断る」言われた病院に運び込まれて、放置され、家人は医師に「治療法は?」と訊かれました。どん底

それまで無邪気に、病気になったら医者が治してくれる、と思っていた私は、健康だと思っていて、保険料だけ天引きされて、医者に言ったことなど無かった日々を想い、病気になった途端、病院から、市役所から、県から、保健所から冷たくあしらわれる。クレーマーと言われる。ひねくれました。人生初の反抗期だわ。

そして、かゆかゆを花粉症の薬(ステロイドが入っている)を飲んでやり過ごした、そこから、気分的にはかなりの元気になったのです。そしてもう一度県内の病院を回り、診療所で紹介状をもらってまた回り、初診の先生に話して、予約してから別の先生にいちから話す。「かかりつけ」の医師などいなかった健康な人は、病人ひしめく医療界に入る隙間は無いのです。今の行政で、薬を制限し、ドクターショッピングを否定し、紹介状と初診の高額な費用、初診で一日使い、やっと予約する権利ができる、というシステムが、逆に医療費の無駄を作っているのがわかります。

かゆかゆは完治し、広い総合病院は歩くとヘロヘロになるので、車いすで移動し、県内では大きな病院の、名古屋方面から来た脊椎専門医に、「オレならば手帳取り上げる」「車いすなんか要らん」といわれ、『一日待たして予約して三ヶ月目ににやっと診てもらえたのに、診るのでなくて罵倒かよ、私も入院させられたとき手帳が欲しかったよ。今の手帳も正規の申請で取れたのよ』と言いたかったけど、くだらないから紹介状を書いてもらいました。宛先は、N県・・・私を追い出した県へ紹介状を書かれた。N県特有病だな、と考えました。そしてまたとおーーーーーーい元の病院へ行き、センセは、走ってきて、別の県にあるクリニックの一覧を私に見せて「どこがいい?」と言いました。この県じゃ、もう絶対医療機関では相手にしてもらえないと想いました。それで一番近い隣の県を選びました。まだ、そこが引き受けるかどうかもわからないのに、そのまま帰宅するしかありません。そして「紹介状」は別の日に、取りに行かなくてはならない。郵送はしてくれないのです。頼みに行くのに六時間とガソリン代と高速料金、書類を取りに行くのにまた同じことのくりかえし。

かみつく難病難民

掲示板形式は、なるべく改行しないの。私は長文癖だし、箇条書きだと、パソコンの設定によって表記が変わるので、半端な改行が増えて読みづらい。この病の場合、手足にまで病状が出ます。私はスクロールもつらいですね。文章が書けるのは、タイピングだと「押すだけ」で捲ったり、こすったり、掴んだり、つまむ、タップする、それが全部要らないから。順にダウンロードされて容量が多いと、クリックしようとして、目標を謝ってしまいます。「あ、自分で『いいね』にさわったぁ」とか、そんな感じ。文章を打つときも書くときも、姿勢正しく、前傾にならないように、医療用の椅子は手に入らなさそうなので浅く腰掛けて太ももでバランスをとります。すぐに足が痛くなるので、きりの良いところで終わらせて、すぐにリラックスできるようにこころがけます。がちがちに固まるか、「こわばる」のか、表現がむつかしくてわからない方も多いようです。座れないという人もいるし。私は椅子には座れます。その時は低反発のクッションを足しています。「床に足を投げ出して座る」はできません。おしりが痛いし、安定しないので、五分も同じ姿勢は出来ないというか「秒殺」ですね。見た目が何ともないので、車いすに座っていて、因縁つけられたりしていますが、歩いてお出かけは難しい。徐々にヘロヘロになり、最後は身動きできなくなります。慢性疲労症候群の人のブログなどを拝読すると気持ちがよくわかる。私も同じ。一度それを疑われて「シンチ」という検査を受けました。脊髄放射線を入れて、数時間ごとにレントゲンを撮り、髄液の漏れ、広がり方をみるもので、CTやMRIとは関係ありません。それで、ほとんど髄液が漏れていないので「線維筋痛症」にされました。その先生は髄液漏れの専門家なのでした。そのことをブログに書いて、反論が少し度を過ぎてつらかったことがあります。私の意見では無く、医師の意見なので。私自身は髄液漏れが慢性疲労症候群だとは思いません。思わないのに何故私が反論されるのか、文章がわからないのか、なやんで、それ自体を書かなくなりました。ご自身の状況と違うからと、他人を否定した書き方はしていないつもりですが、時々けんかを売られた、と受け取られる。これはほんとうにつらい。

便利不便

アメーバ「グルっぽ」という掲示板システムが消えるので、代わりに場所を作っている最中です。よくよくスレを建てた人のコメントなどを読むと、混乱してしまいました。ひとつは、「脊椎関節炎」のグルっぽに「強直性脊椎炎の原因」があったり、すでに存在している自己紹介なのに、もう一つ自己紹介があり、自己紹介のついでに自分の心の内を書いてしまう、ということの「繰り返し」が多いことです。なぜ「脊椎関節炎」に「強直性脊椎炎」の話を書く場所を「作るのか」、管理側には混乱の元です。知らない間に、別の病気の話が書かれているのですから。医師によっては、二つの病気を「同じ」と言う方もありました。私はおおまかな「脊椎関節炎」という病気にのひとつに「強直性脊椎炎」がある、と、本を読んで考えていました。さらに強直性脊椎炎でも、指定難病として申請できた人と、その紙切れの基準達しないけれど、指定難病の強直性脊椎炎の人、さらに、強直性脊椎炎ではなく脊椎関節炎と診断された人、そしてそこに「線維筋痛症」が併発している人。

読む人も混乱するし、患者同士でも、「じゃ、わたしはどーすりゃいいのー」みたいな書き込みも在る。そう想う人は、もっと多くいる。そして発病とネットデビューが同時になり、まずインターネットの使い方がわからない、入力の仕方がわからない人もいる。私としては目眩がするような世界ですが、とにかく少しずつ整理します。時間はかかると思いますが、どうか気長に待ってくださいまし。間に合わない、切羽詰まっている人のために「けいじばん」があります。

インターネットスマホ世代も増え続け、古いホームページの発想で、掲示板に洒落た題名などつけると、それがけいじばんだとわからない人もいて、出来ればもう少し、インターネットとPCの使い方を覚えてから、とは思います。以前に、「ひらがな入力の仕方を教えて」という人もいました。退職してからネットデビュー、退職して田舎に引っ越し自治会デビュー世代から、なんでもスマホ、いつも片手にスマホの若者までいるのでした。

「育児の話はしたくない」「同世代の友だちが欲しい」スマホ系と、病気だけれど育児と家事と親の介護に追われている人では会話は難しいかと思いました。