イキテイタアカシ

病経由で知り合った人には、生きた証を求める人が多い。病の当人、それを応援する人、それぞれに一律のファンを持つ、または、同病仲間がいたりします。不謹慎な書き方ですが、病気もある種の「売り」です。私が病についてフツウに話していて、笑いなど盛り込んで、でも、不幸自慢め!と罵られたことがあります。ネット知人は「私は売れるものは病も売るぞ」と言う人も居るので、そういう考え方もあるなあ、と感心しました。どうしても、私の中では不幸を自慢できるとは思えなくて、美人薄命とか、余命幾ばくの恋愛ドラマとか。イマドキたちはそれを「感動ポルノ」と言い放ちます。は?「ポルノ」ですか、えっちなこと?しばらく考えて、自作自演で感動して快感を得る、或いは死別の恋愛に涙して気分が良いこと、かな、と結論づけました。

でも、難病当人としては、バンド活動している、スポーツしている、それがそのまま「肩書き」になってます。真剣そのものです。当然のことながら、「無職」はいやですから、というか肩身が狭いのね。私など「詩人」とか「ネットライター」とか、その他いろいろ書くのです。「主婦」は職業では無いので、なにか「活躍」していないと、時代的にかっこわるい・・・

今、元・相撲部屋のニュースを聞きながらタイプを打っています。相撲部屋なので特殊ですが、女人禁制の相撲の世界で相撲取りを陰で支える女将さん、なんて世間の女は嫌いですよ。有名人同士、相撲部屋の縁者同士ならばそこに馴染むのでしょうが、産め、働け、俺たちを支えろと言われても、女はむしろ、誰かに守られたいもの・・・自立する女、活躍する女性、って私が大人になってから使われています。ごく最近と言えます。

親から離れて、夫にくっつく、わりと自然なことです。よくよく考えれば、見知らぬ親に見知らぬ親族、未経験の夫の仕事、それらを上手に合わせながら、自分らしく生きる、至難の業です。男性が「オトコの仕事」という意識を捨てない限り、「女将さん」はずっと尽くすだけのただ働きで、費用も足りないので工面したり、マジっすか・・・でも、相撲部屋で無くても、靴職人だろうが、サラリーマンだろうが、私の父は工員でしたが・・・とりあえず、有名人の親をもてば「七光り」があって当然、以前に女優と噺家の二世タレントさんが、「父がオレの子供を虐めるなよ」とにらみを利かすことがいやでひねくれてしまった、と言っていたのを思い出します。

難病でバンド活動して、いつ死んでしまうかわからないし、生きていても寝たきりで体はつらくてたまらないし、となれば、手っ取り早くネットで宣伝です。難病の人には「七光り」はないし、もちろん一般の人にも「七光り」なし、何をするにもお金を稼いで生活したいなら、まず仕事、病を得て見えない障害など持っていたら、見えない分、二十四時間テレビ的なショーにもならないのでした。

ちいなちいさなネットの世界、ネットは広いのですが、自分の病に対して理解を示す人、アイコンの顔写真に惚れてくれる人、サイトによって様々だけれども、インスタ映えしてかわいいとか・・・有名元相撲取りさんであれば、けしからん、人生修行だ、としかられそうだけど・・・

スマホの電波だけが生きがいで、おのれと感覚が合わない人に出会うと、なぜか切れてしまう。イキテイルアカシですよ。他人に、うわぁ、超わがまま、ついていけなーい、毒振りまいているぅ、という証を残したいんですか。アカウントを「削除」して何回やり直しても、毒にやられた人は最初の一撃ばかり、振りまいた人の死後もずっと・・・本名も顔もわからないけれど、振りまいた毒だけは本物なので、誰もがふと、何かのきっかけがあれば、死に際にあんなことした人居たよなあ・・・ってよぎるかも。